あらぐさ(雑草)ブログ

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<<   作成日時 : 2018/10/11 12:49  

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「音楽についての公表投稿まとめ」
あらぐさ(雑草)ブログ、および Facebook コメントより抜粋し、大幅加筆しました。

※ ブログは、あくまでも自分の自分に対するコメントであり、誰かに向けた発信ではないことをあらかじめ表明しておきます。


腰椎椎間板ヘルニアで4番5番の軟骨がつぶれた50才を過ぎてからのバイクに乗ることが出来なくなった自分は、全てのバイク関連道具を処分し、(2002年頃からボチボチと)新たな最後の趣味としてギターと作詞作曲、ライヴ活動を始めた。歌本程度の譜面なら読めるので、コード把握などはそんなに苦労はしなかったが、誰かの楽曲のコピーをすることも無く、教則ビデオも見ずに、誰からも奏法などを教わらずに、結局何の知識が無いままに音楽を始めた。
100%完全自己流なので、一切の楽譜記入をすることも、ギターを弾くことも無く、頭の中だけで曲を書くことに疑問も持たずに現在に至っている。他の人の曲作りを知るようになっても、この方法が一番合っているのでいまだに脳内作曲のままだ。
ほぼ完成してからギターでライヴ用に微調整するのは、オリジナル曲はライヴで唄う事で勝手に成長・変化していくので、いちいち譜面にしても激しく変わり続けるものだから結構合理的な方法だと思う。
現在まで書いた曲は、15年で55曲。
完成はしたものの、書いた時の精神的不十分さから唄われていないものが15曲ほどある。いわゆる「ボツ」である。
よく見受けられるのだが、オリジナルに尊敬するミュージシャンの色がついてしまい(あまりに好きすぎて・・・他のジャンル・他の人の歌を聴かないので)、結果「物まねオリジナル」になる例がとても多いので、特定の人物に傾倒して「この人のようになりたい」というミュージシャンは全くいない。
あくまでも特定の気に入った「その曲」に傾倒するのである。

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当初の声は、岡林信康に似ていて嫌だったことと、和洋問わず、ハードボーカルが大好きだったので、ブルース系のパワフルでハスキーな声を作るために、かなり乱暴な声帯改造を数年かけて完成させた。
森進一や木村充揮、トム・ウェイツに近づくのはとても無理なのだが、当初のイメージとしては彼らの声を目指してきた。
一度、副鼻腔炎に罹り、耳鼻咽喉科でカメラで調べた際に医師が、「声帯の手術でもしましたか?」というほどの路上でタフな声帯になったのは、文字通り、血を吐きながらの「腹式発声」の繰り返しでだと確信している。「喉式発声」で大きな声を出していると、(よく見られるように)声帯を壊す結果になっていたのは明らかだ。
喉の強化を終えてからは、当面はギターを練習し始めてからのライヴを1000回演ることをひそかな目標にし、今年6月22日に東京・東中野「じみへん」でのステージで15年にしてようやく達成した。
自分が「人前で唄う意味」を追求していたら、いつのまにか15年経ってしまっていたような気がする。
自宅の住環境は、最初から現在まで家でのギターや歌はもちろん、CDでさえ大きく鳴らす事は出来ない環境なので、練習するということは、野外と会社の駐車場車内しかなかったので、最初の4年間ほどは、会社に2時間早く出勤し、車の中で曲を書いたり練習を繰り返した。

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最初の数年は、あちこちのライヴハウスで「下手を隠さずに全開で演る事」で恥をかき、顰蹙をかってなお、未熟なままの歌とギターでオリジナルを中心に唄い、その後は路上の楽しさを知ったのでハコと路上の両方で唄った。
3年ほど前からは、思うところがあってオファーがあればイベントやライヴハウスで唄い、自分で申し込んでライヴに参加することを止め、基本は路上での「3時間ライヴ」に専念している。
ライヴハウスの「20分3曲」では、全く不満な持ち時間なので、路上での3時間は、唄い慣れたオリジナル曲から新曲、新たなカバー、季節に応じた曲、お客さんの全ジャンルのリクエストなどを唄えるのでとても満足しており、道具も生声・生ギターの時もあれば、充電アンプとマイク使用の時もある。
現在の路上では、オリジナル・洋楽・ロック・フォーク・歌謡曲・演歌など、ノンジャンルでリクエストに応えつつ、30分ワンセットで数回のジャンル別ステージを演るようにしている。
路上では、CDを買ってもらったり、投げ銭・お捻りも時々いただいてお客さんの聴きたい歌を唄うこともあるが、聞き手がいなければオリジナルを唄っている。
一番気を付けている大事な事は、あらゆる曲の歌詞の世界に入り込んで作者に共感し、敬意をもって(洋楽は訳して)唄う事だと気を付けている。

https://www.youtube.com/watch?v=JCoCawt-HRk&feature=youtu.be


残念ながら、コピー・カバーしか支持されない秋田の現状は、「@収入確保の店・主催者 A自分の青春の想い出の歌だけを聞きたいお客さん Bそれに合わせないと唄う場所が無いミュージシャン」が、長年作り出した「三竦みの秋田的音楽文化」ではないだろうか?
音楽の世界では、プロ・アマ、自作・他作を問わず、聞き手の人生を応援する歌を書いたり唄ったりする人がいる。
その人がまだ20代だったりすると、どんな激しい人生経験をして来たのだろう、そして他人に歌で働きかける自信はいったいどこから来るのだろう!と、とても驚いてしまう。
けっこう波乱の人生だった気はしている自分でさえ、もう67歳まで歳を重ねているのに、他人を励ましたり、悲しい人を慰める歌を目的にして書いたことは一度も無い。そもそも自分の経験さえもきちっと歌に出来ていない未熟者なのに、他人の人生に働きかけるなどいう分不相応な事は、自分に対して戒めてきた禁じ手だ。
ましてや、「癒す」とか「元気づける」などと、聞き手にたいしアマチュアとして傲慢な歌を書いたり唄う事は絶対に出来ない。
かわいらしい仕草のペットたちや動物たちが、「あなたを癒します」と考えていないのと同じで、我々の歌の意味というのは、「癒す事」は出来なくて、「癒される事」が時々あるだけなのだと、1000回のステージで貫いてきたつもりだ。
結果は聴き手にまかせ、アマチュア歌手は「唄うだけ」しかないのだ。

https://www.youtube.com/watch?v=7x55eUvjNTg&feature=youtu.be


アマチュアの歌がお客さんに「伝えることが出来る」などと考える事は、勘違いであり「幻想」である。
お客さんにとっても、「あなたを励ましている」という歌詞であなたに唄われる歌は、歌い手の人生の「本物」が無ければ、決して聴き手であるあなたを励ましたり、伝えている歌ではない。
心と歌が一致していないオリジナル曲で「癒された」と感ずるのは、嘘歌に惑わされた聴き手の「幻想」である。
だから自分は、誰の人生にも語りかけず、自分で経験したことだけを「中学生でも理解できる簡単な言葉・言い回しで〜路上で目の前を通り過ぎる通行人が数秒で理解できるフレーズ」歌詞にして唄い、その歌のなかで何かが聴き手と共感・交感出来たらいいなぁ、元気になったり、少しだけでも心が楽になったりしたらいいなぁと唄っている。
「ただ唄うだけの活動」が、これからのとても短い人生の残り時間を楽しく過ごせたら幸せなんだろうなとボンヤリと感じている。

https://www.youtube.com/watch?v=OafON2xIWTw&feature=youtu.be


もう3年以上、ライヴハウスのお客さんの拍手喝さいから遠ざかる路上活動をしながら、悲しさから抜け出せない人、本人や家族の事で人生に疲れた人、死にたくなるような気分の人、愛する人と別れた人・・・
そういう数少ないお客さんに向かって何も考えずに、自分の書いた自分の人生で経験した事だけで書いた歌を唄っている。
結局俺は、「唄うだけ」しか出来ないのだ。
だからといって「上手いコピーより、下手なオリジナル!」は、これまた傲慢な独りよがりのアマチュアの甘えでしょう。
路上では、お客さんは我々路上弾き語りを「歌手」として立ち止まる。だからこそ、「俺の思いを聞いてくれ」だけではすぐに足早に去っていく。
そこに気がついてから、様々なジャンルの「歌唱力」を身につける練習をしてきて、少しだけ進んだような気がしている。
(英語のわからないお客さんに日本語で唄うからこそ)特に演歌・歌謡曲のエモーションたっぷりな歌唱法、ネイティブ英語の尾崎紀世彦さんの日本語のアメリカン・ポップス・スタンダード等を先生に、未熟な唄から前に進むためこれからも修行だ。
洋楽を意訳して日本語歌詞で唄っていると、ふと歌謡曲を唄っているような気持になることがあるのだが、それほど日本人への日本語による歌は基本だと思う。
お客さんに「歌」を歌っているのだから、何を唄っているのかがわからない歌詞だと、どんなカッコいい洋楽でも「歌う意味」はそんなにあるわけがない。
楽器だけで表現するジャズ・ミュージシャン、そしてクラシック演奏家たちは、元歌の歌詞を徹底的に読み込んでその感情や物語を表現している。

https://youtu.be/qUc7C0ZNVjg


心の中を歌詞にして、初めてのステージで、見知らぬ(お馴染みさんではなく!)お客さんに聴いてもらえるプレイを研鑽しようとしない、そういうシンガーソングライターばかりでは、永久にオリジナル曲の魂は唄うことはなく、「オリジナルの唄う場所が無い」と泣き言をいい続けることになる。
そういう人がよく云う「あいつのギターや歌の上手さは才能、天才」は勘違いか言い訳だ。 天才と云われた彼らが日常、長年続けた努力を天才だと評価することで、「自分の努力不足」を誤魔化しているだけだからだ。
だからいつも、誰も聴きたい人などいない路上で、急ぐ人々の誰かの足を止める歌を歌えるかどうか!を試行錯誤している。
あなたが、いつものライヴハウスで、いつもの優しい音楽好きなお客さんの拍手喝采(言い換えると「馴れ合いの事も多い危険なライヴ状況」で満足していては見えないモノ、それは知り合いのいない現場でたった一人の通行人の足を止めさせる歌を唄う事だ。
その瞬間を何度も経験し、自分が「歌う意味」を見てしまったので、もう後戻りはもう出来ないジジィ路上人だ。

https://www.youtube.com/watch?v=fprst7eVU-4&feature=youtu.be

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緊張しないのか?と聞かれることが結構ある。
(表現力も無いのに)うまく唄おう、拍手をもらおうと考えると、そりゃぁ緊張するに決まっている。
お客の数が多くても少なくても、(路上の基本はゼロですし、毎年の千秋公園桜祭りステージは、千人オーバーですが)ステージプレイで「実力以上を出す事」はあり得ないので、真の実力であるはずの「多くのヘタと、一瞬のいいところ」を全部出して「唄うだけ」に徹していると緊張しない。下手も全部出さなくては、わずかのいいところは出ないからだ。
お手本がある元歌を何百回も練習するコピー・カバーとは違い、自分が産んだオリジナルは誕生した後は、曲自身がどんどん成長するので、下手というのは永久に続くのです。緊張するような無理はしなければいいだけだ。
「下手な俺の歌ですが、魂込めて全てを出しきります」ということなので、別に特別なコツなど無いと思う。
15年間、人前で唄う意味を考え続けながら、その時その時の環境で妥協したり、我儘だったりの1000回の繰り返しで集積された経験のけっかわかった事はこんなものだ。
ギターも歌も曲作りも50歳を過ぎてから始めたので、若者のようにアレコレ迷う時間などなく、「オリジナルを唄う意味」の追求という一点集中できました。
ですから、67年の人生で経験したあらゆること、学習して知った事のみのコメントをブログや Facebook で投稿しています。
まぁ、結果嫌われますが・・・

https://www.youtube.com/watch?v=xlhlbnyQsGw&feature=youtu.be


他のミュージシャンもそれぞれ「唄う意味・演奏する意味」を持っていると思いますが、シンガーソングライター(数十年前の弾き語りは、プロもアマチュアも全員自作だったのです)としての表現活動と、コピー・カバーのミュージシャンとの違いが秋田では不明確で、おおざっぱに「アマチュア・ミュージシャン」で括られてしまう経験で、こんなことを考えながら路上中心になった。
わかりやすい経験を一つ。
数年前のことで、某郡部のライヴでは「人前で演っちゃいけないレベルのベンチャーズに店からギャラが出て、オリジナルミュージシャンから会場費を取る」が当たり前の絶望的音楽文化!
皆さん、そういう微妙な事情で活動しているので、気が付いていてもそのことを公的に言えるアマチュアはなかなかいない。
特に、店バンで定着していると、表現としてはコピー及びそっくりカバーしか唄えない状態でしか活動できないので、パフォーマンスも言動も制限される。
15年間のステージはかなりの割合で路上が多く、どこの店にも、どの主催者にも、どの愛好者クラブにも所属しないで、一貫して単独活動を基本にして来たので孤独ではあるが、わずか「20分3曲」に縛られない「3時間以上曲数無制限、自作・カバー・ジャンル無制限」が性に合っているようだ。

https://www.youtube.com/watch?v=nYw1LvEpchY&feature=youtu.be


ただ、大ヒットするほどのプロのノウハウが注ぎ込まれた曲をお手本に、何年も同じ曲を練習するだけなので、コピーは技術的にはオリジナルをはるかに上回りますが、音楽のもっと大事な歌詞の意味を問いかける表現は、当然ながら比べようもないほどオリジナルの方が勝る。
「他人の感情を表現する」という音楽は、クラシックやジャズ、演劇ならよくあるが、それは普遍的な人間の心を捉えるモノがあるからで、役者さんや歌手さんたちは、オペラならイタリヤ、ドイツ、アメリカなどの原典で研究して舞台に立っている。
クラッシック・ジャズは、音楽史・楽器史、楽理を猛烈に勉強して演奏している。
ヨーロッパのクラシック以前の大衆音楽史を見ると、吟遊詩人が思い浮かぶ。
吟遊詩人というとスナフキンを思い浮かべるが、貴族の間を渡り歩きながら、そのパトロンのご機嫌を取る即興オリジナルを職業とする人たちだ。あるいは、町を周りながら一般市民を前に投げ銭で唄っていた。
これが「投げ銭・お捻り芸人である弾き語り流し」に最も近いと思う。
もっとよくないのが、「店・主催者」「お客さん」「プレイヤー」の安定が保証されているために、@そこで完結・安住、Aライヴ場所確保のため我慢、B環境から飛び出す…しか方法が無い事だ。
でも飛び出すと、「熱い湯や冷水風呂の刺激」を受けて、(一部の人は)ぬるま湯には戻れなくなる。
アマチュアらしく活動を続けるには、他人の批判を覚悟し、孤独や孤立を恐れずに、自分の経験から生み出される音楽である友情や愛情の機微を唄い、追及するしか道は無いのかもしれない。
それぞれのアマチュアが音楽活動について考え、選択をして現在の状態なので(考えていない人は論外として)、@そこで満足し完結・安住、Aライヴ場所確保で我慢、B環境から飛び出す、のどれかで決断しているわけなのだ。
Bをやりたくても、秋田の過疎への一方通行が加速し、県人口の半分以上が50歳以上では、外に飛び出してもオリジナル弾き語りは文化として存在し得ない中ですから、テリトリーやフィールドから飛び出す決断は、即唄う場所が無いに直結する。
オリジナルを唄う場所は、遠く都会にその場を求めるしかない現状だから、飛び出すパワーや資金、ハイレベルな凄い人だらけの東京道場に「頼もう!」と乗り込んで行くほどのメンタルの強さを求められるのは確かだ。
その秋田県の音楽好き、特に数少ないポップス好きなお客さんの特徴は、「自分の甘く切ない青春のヒット曲を当時のスターとそっくりコピーで唄った時に感動する」が中心ですから、物まね芸風や安定した場所から飛び出しは難しい。
そういう活動が知られると、店や主催者から呼ばれることは無くなります。
残念ながら、店やお客やアマチュア・ミュージシャンが作り出したこの「三すくみ文化」は根強くて、一度はみ出てしまったらもう帰る場所は無くなるし、その覚悟を決めて飛び出すのは大変だ。
それは出禁ミュージシャンへの道なのだ。
「♪ 誰かに何を言われようとも・・・」

https://www.youtube.com/watch?v=xJ6zuSOpJv4&feature=youtu.be


何か、究極、気楽に妥協して群れたいのか、独りでも自分のコンセプトにしたがって修行しながら活動するかのどちらかになるしかないようだ。
身体の衰えは、12月には68才になるジジィの心にも侘しさ、寂しさが沁みてくる。
でもでもだからこそ、現在の未熟な状態から少しでもまだ見ぬ地平線を目指して歩いていこう。
同じ歌を歌えたとしても、路上で立てなくなったら、そこでハイ終了!だから。
きよかんが「きよかんという歌手のそっくりカバー」を唄うようになったら!そこで弾き語りパフォーマーとして終わりだ!
ってことを心してこれからも唄っていくだけ!


今日は43年前の10月10日の結婚記念日だ。
亡き潤子さんに捧げます。

「10月10日、映画のように」
https://www.youtube.com/watch?v=lmKMgKde7gE&feature=youtu.be
https://www.youtube.com/watch?v=Vfz5_aD9jLo&feature=youtu.be

●追記(10月1日タイムライン)

自分がきよかんという歌手として「唄う意味」とはいったい何なんだろう?という問いかけの答えはいまだに出ていないし、おそらく永遠にわからないままだろう。
しかし、ずっと「歌いたいから唄う」と思い込んでいたのは事実だし人にも云ってきた🎵
でも昨日(山形県遊佐の伊藤宅での「お茶の間ライヴ」)和田 WORLD に浸りながらわかった!

【「歌わなければならない」から唄っているのだということを!】

そしてだからこそ「本物の歌」を唄わねばとも‼️
昔、弾き語りアマチュアは、全員オリジナルソングを歌うシンガー・ソングライターだったのだ!
 
 

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