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zoom RSS 「雑兵話 5」幼年期の終わり

<<   作成日時 : 2018/04/16 23:17  

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二十歳の頃は夢の彼方
〜 何というか、そういう時代だった 〜

画像


オリジナル「夢の彼方」
https://www.youtube.com/watch?v=xlhlbnyQsGw&t=0s&index=18&list=PLZoH89Sc5gLtYQ9HVU3AUGdVbOq7QIXBG

***** ***** *****

 1953 年の Artur C. Clarke に敬意をこめて
           音楽結社魂の詩派 きよかん(菅貴代志)


「CHILDRENS END」

 1971 年夏、当時の東京の流行そのままのスタイルである Morris の安いギターをケース無しで抱えた、肩までの長髪でヒョロリと痩せた、ベルボトムのジーンズを履いた若者が二人、秋田市から30分の下浜海水浴場にホンダ N360 を転がして現れた。
 彼らは所持金がほとんどなかった。
 昼飯代さえ無かった。

 二人は、ブラブラと焼けた砂浜を歩きながら、シートを敷いて座っている若い二人連れの女の子に話しかけて、何やら笑いながら熱心に話している。
 話がまとまったのか、やおら一人がギターを弾きながら歌い始めた。
 次々と歌う曲は、フォークやグループサウンズなどでなんのポリシーも感じられないのだが、女の子たちのリクエストに応えて歌っているらしいのでしょうがない。
 当時は、空のギターケースをもって出歩くほど、ギターを弾いて歌うだけで憧れの目で見られた時代だったのだ。
 生意気にもギターの無い方が、合いもしないハーモニーを入れたりしながら、数曲歌って小さな拍手と何かを手渡しされて離れた。
 手にはバナナとおにぎりを持っている。
 コンビニの無い時代、おにぎりは手作りのはずだ。

 お礼を言いながら再び歩き始めたら、ずっと聞いていたすぐ隣の数人のおやじたちに話しかけられている。
ギター青年は、古賀メロディを歌い始めた。
 残りの一人は、足早に海の方に歩いて行った。
 歌い終わった方は、盛大な拍手を受け、ビール瓶(缶ビールはまだ無かった)2〜3本を受け取ると、もう一人が座っている波打ち際に並び、ビールを呑みバナナとおにぎりの昼飯を始めた。
 ホンダNコロに乗るギターの方が M、もう一人は S という若者二人は、どちらも175aほどの当時では長身に入る二人組である。

 その日の夜 7 時頃、S は秋田市最大の繁華街である川反にある「当り屋パチンコ」からご機嫌で出てきた。
川反通りは、浅草仲見世のようにほろ酔い人がぶつかり合って歩いている。
 S はかなり儲けたようだ。
 歩いたり止まったりしながら笑顔が消えない。
 それもそのはずだ。
 S がこの店で負けるわけがないのだ。
 パチンコ屋の店員の女の子は S の彼女であり、当時の手打ちのパチンコ台は釘の締め具合と台の傾斜で出玉を調節していたので、S が打つ台は店長に隠れて彼女が一番出るように傾斜をつけるので、いつでも終盤には出続けて連戦連勝である。
 昼は金が無いが、日が暮れてからの夜は豪遊できるのである。
 パチンコ屋が閉店後、「満月」の寿司を彼女にご馳走すれば、ほとぼりが冷めた頃に来店しまた大勝ちだ。

 川反で昼遊びの友人 M ではなく、夜遊び仲間の K と待ち合わせた S は、「当たり屋」の筋向いにあるゴーゴークラブに入って行った。
 ここは、「サイセリア」→「コパ」→「ラスト ツー ダラー」と名前は変わりながらも、大町の「夜光蟲」と秋田の若者を二分しているゴーゴークラブだ。
 今夜出演している東京から来たバンドは、半月ほど前の朝 3 時頃、川反四丁目の「カクテルコーナー」でバーテンをしているが、正業はエロ 16 _映画の上映会で稼いでいるという A という知り合いと、山王の「ピノン」というスナックで闇バイトをしている同僚 T と3人で、酔い覚ましのコーヒーを「ロッジ ブルボン」で飲んでいた時に、隣のボックスで食事をしていて知り合った。
 俺たちが「レッド ツェッペリン U」はすげぇな!という話をしていたら、出演バンドのギター弾きが話に割り込んできて、「今週で秋田の営業は終わるので一度聞きに来て」と云っていたのと、この店は夜の友達Kの闇商売のアジトになっていたから、週に一回は顔を出すのだ。

 薄暗いクラブの中は踊り狂う若者がぶつかり合っている。
 S は、前年末のこの店のゴーゴーコンテストで2位になり、1位の女の子と付き合うようになっていたが、彼女の親から猛烈に反対され別れたばかりだった。
 秋田大学教育学部の近くの実家住みの彼女と会うためには、母屋の裏の常設になっている梯子で二階に上がって窓から彼女の部屋に行かなければならないのが、スリルを通り越してソロソロうんざりしていたこともある。
 だから、今はもう踊ることは無くなり、ステージの前でバンドの演奏を見ていることが多くなっていた。
込み合うフロアを定位置のステージ前に出たとき、ちょうど演奏が終わり、一瞬ざわめきが収まり静かになったタイミングで、ステージの後ろの方からスティックのカッカッカッという乾いた音と、ワンツースリーが同時に聞こえ次の曲に入った。
 当時一番好きなイントロの「モビーディック」だ!
 ボンゾのパワフルなドラムソロが10分も続くのに陶酔してしまうあの名曲だ。

「モビー・ディィック」
 https://www.youtube.com/watch?v=r9-42mu1D9Y

 ステージから S を見つけたバンドの誰かが、お別れの曲としてツェッペリンを演奏してくれたのだ。
 そのあとは、「ロッジ ブルボン」で話題になった曲のオンパレードになった。
 (モビーディックなどは、イントロのドラムソロが長く踊る事なんかできない)客が踊りにくいとかを無視した選曲ばかりだ。
 バニラ ファッジ、クリーム、プロコル ハルム、ムーディ ブルース、などでやりたい放題だ。
 ギター弾きは、「ビートルズとストーンズは嫌い」との話で俺と意気投合していたのと、営業の最終日でもあり、一番好きな曲を演っているようだ。
 バンドの休憩時間になった。
 S はコーラを飲みながらフロアの壁際で K と馬鹿話をしていると、「あのー、すいません。」と声がするので振り返ると、K と若者がトイレに向かい歩いていたので、俺もついていった。

 何か嫌な気配がする。
 悪いことが起きそうな、落ち着かない感じがする。
 邪魔が入りそうな予感。
 俺はトイレの入り口でフロアを見ながらKと若者の話を聞いていた。

若者 今日はいくら?
K 1つ 200 円。
若者 10 で 2 千円か。じゃぁ 20 個下さい。
K えーと、残りが 36 個で終わりなのでまとめて6 千円じゃだめ?
若者 あー、ならそれでいいです。

 当時、マリファナや LSD は、雑誌や映画の中だけで知っているだけで、ある本にウラ情報として「バナナの皮の内側にくっついている白い筋を天日乾燥して砕き、紙巻タバコの葉を抜いて、代わりに入れて吸うとマリファナと同じ効果がある」とあったものだから、やってみたヤツがいたが喉を傷めただけだった。
 S は、毎年観に行っている日比谷野外音楽堂で開催されている「日本語のふぉーくとろっくのコンサート(1969〜1973)」で上京する特急つばさで、ラリッて車内を何やらブツブツと云いながら、フラフラと徘徊する秋田出身の某有名ミュージシャンを見たことくらいしか知らない世界だった。
 しかし、暴走族のアンちゃんたちは、シンナーやトルエンを吸って脳を溶かし、歯茎をドロドロにしていた。
 S は、酒は好きだがあまり酔っぱらわない体質で、一升酒やバーボン1本なら夕方から寝るまでに空けても普通に歩けるし、二日酔いもない便利な体だったので、酒以外で酔っぱらう連中はみんなバカだと思っていたので、この手のモノは自分では一切やらない。

 違法ハイミナールは、アメリカの強いモノがあるらしいが、日本では弱いモノが薬局で売られていて、K はそれを仕入れて繁華街で売って小遣い稼ぎをしていた。
 薬局では、一般販売は厳しく署名・印鑑が必要なので、秋田市で顔が知れるのを防ぐため、田舎の薬屋を丁寧に回って買い集めて、ヤクザに隠れて売りさばくのは、リスクはあるがとにかく暴利が見込まれるので、K は半年ほど前から夢中だった。
 S は、トルコ風呂やピンクキャバレーなどの「金で人間を左右すること」が大っ嫌いであり、パチンコ屋の彼女がいるので酒呑み資金には事欠かないから、K には「そのうちバレるからよせ」と云ってもきかないので、今は惰性で単に付き合っているだけだ。
 それに、K は儲けても決して奢ってくれないし・・・

 当時の秋田は、まだ関東の的屋(テキヤ)系の極東会(組)や源清田一家が、暴走族あがりを準構成員にしてまだ勢力を保っていたが、関西の広域暴力団山口組が進出するにしたがって縄張り争いが顕在化していた頃だ。(現在も、正業としてお祭りなどの露店で商売する「香具師(ヤシ)」はおり(見た目は似ているが)、的屋系暴力団ともかかわりなく商売をしているが、実際はずいぶん衰退している。
 イベントや祭りの主催者が、一般飲食業の出店を中心にしているし、法律的にも規制が厳しくなり、今は正業としての経営が難しくなっている。
 この後まもなく、地元の老舗の的屋系やくざは、指定暴力団の住吉会・稲川会・山口組などに吸収され、秋田は山口組に統一されるのだが(知り合いの暴走族たちがずいぶん巻き込まれた話は別の機会に…)、その混沌とした渦中での K のハイミナール捌きは目立つようになり、S は悪い予感を感じていたのである。

 K が田舎で買い付けるハイミナールは、1 ダース入りで 300 円程度のはずだ。
 それを 10 倍〜20 倍で売るのだから、売った分だけ儲けるわけだ。
 高卒の彼らの基本給賃金は月額 2 万 5 千円程度だから、まさに「濡れ手に粟」である。
 トイレから出る際に S は K に「これで終わりにしよう」といって、K も「噂が広まっているので終わりにする。ずいぶん儲かったし…」というのでちょっと安心し、照明を落として暗くなったフロアに戻り、再開したバンドの緩いチークタイムのバラードを聴き始めた。
 ボビー・ヴィントンの代表曲で、レターメンがヒットさせた哀しい歌だ。

 「ミスターロンリー」
https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC&tid=2d3f8a67eeea3ef85262dd8d67c591d1&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1


 「戦地にいる僕は孤独だ…」
 という歌なのに、フロアでは抱き合う幸せそうな男女が踊っている。
 S は、ぼんやりとその様子を見ているのだが、何人かの普段いないはずの違和感が大きい連中がいるのに気が付いた。
 場にそぐわないスーツ姿の男たちが、フロアを歩きながら時々周りを見回している。

 あのずっと感じていた不安がはじけるくらい大きくなった直後、後ろで大声がしたので直観的にステージの方に走って振り返ると、背広男たちは、逃げ惑う客たちにかまわずに K と彼の取り巻き仲間に殴りかかっているが、ステージでもマイクスタンドやアンプを蹴っている状態で動くことも出来ない。
 コーラのビンが頭を直撃し、血が筋になって額に落ちてきた。
 そうこうしているうちに客は外に逃げ、ここをたまり場にしている若者たちと背広男たちが大乱闘になっている。
S は、権力や金や地位や暴力で他人を支配するのが心底嫌いなので、照明の落ちたステージにある大きなマーシャルアンプの陰に隠れて様子を窺ったら、始まって 10 分くらいしか経っていないのに、喧嘩のプロを相手にするわけだからすでに勝負は終わっている。
 鬼軍曹的な立場の兄ぃが「川反で次に見かけたらぶっ殺すぞ!」と叫んでから引き揚げていった。

 K は見当たらない。
 あいつは要領がよくて、平気で人を裏切る男だから、とっくに逃げていったようだ。
 実際、この後一度も K とつるんだことは無い。
 S は、楽器やイス、テーブルがひっくり返り、ビールやコーラが水たまりを作っているフロアを出て、クソ熱い酔っ払いだらけの雑踏に出た。
 血は止まったがうずく頭を振りながら、川反五丁目から横町に曲がり、遅い夕食を食べるために松田食堂の暖簾をくぐった。

おわり

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